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FAX NEWS


FAX NEWS No.22

発行責任者:谷 大二
2005年5月30日(月)発行

横浜教区の船員司牧(AOS)


 横浜港で船員司牧(AOS)をやり続けている中で、船の訪問の時も横浜の船員センターにいる時も、色々な事があります。喜ばしい事も悲しい事も。 先日は、船一隻が出港するところで、一人の船員が足をロープに巻き込まれ、仲間の助けがなかったら命が危ないほどの事故がありました。彼は入院し、内出血のため手術を受けました。しかし、彼の関係者の方々はよく面倒を看ていました。特にその中の一つは食事の件で、この船員はイスラム教徒なのですが、病院側が彼に食べられる食事を提供するようにと、努力しました。また、見舞いに来た人が、自分の言葉で話しかけてくれることも、本人にとってはありがたいことで、彼はとても喜んでいました。   むかし、日本国籍の船員は今よりもはるかに大勢いました。しかし、低賃金の問題や、船員生活の魅力低下の問題などで、その数はどんどん少なくなって、代わりに他国の船員が、「日本の船に雇われるようになりました」。  そして、最近特に目立ってきたのは、中国人船員の増加です。私は新しい仲間に会うために、船まで足を運んで、コミュニケーションを取ろうとしています。心で迎えるのは第一条件だと思っています。中国語の出来ない私は残念ですが、英語を使って会話が出来る時もあれば、幾つかの漢字を使って会話できる時もあります。場合によって聖書を頼まれるケースもあります。中国語の資料の必要性をよく感じています。


 私と船員司牧の仲間の為にも、又船員達の為にもお祈りをいただければ助かります。


ケベック会/船員司牧(AOS)全国担当者 レイモンド・デロシェ神父


  

入国者収容所 東日本入国管理センター 

-(茨城県牛久市)〜牛久で起こっていること

2005年4月5日、牛久の収容所にイラン大使館の職員(それも上級職)が来て、収容中の全イラン人に面接を申し入れました。面会申し込みをした人数は13人とも11人とも言われます。この中には結婚問題をかかえている人もいて、大使館のサポートを期待して面会に応じました。しかし、難民申請をしている5人は面会を拒否しました。当然です。難民申請とは、故国を捨てる意志を表明することです。まして、イランはイスラム教から他宗教への改宗者や国を捨てようとした人たちに厳しく対応する国です。この人たちが万一帰国したら、ただちに拘束され厳しい尋問をはじめ、さまざまな迫害を受けるのは目に見えています。彼らの氏名は、みだりに明かしてはならない個人情報のはずです。それにもかかわらず、面会に訪れた大使館員は、全員のリストを持っていました。リストを大使館に提供したのは誰か?入管か、それとも収容所か?

 支援グループの人たちは、目下この問題で収容所に対して厳しい申し入れをしています。「あってはならないことが、また起こった……」外国籍の人々に対する施策のずさんさが露呈した出来事でした。

さいたま 教区助祭/難民移住移動者委員会 東日本入管収容所担当者

齋藤紳二


ベトナム定住難民-サイゴン陥落から30年-


 1975年4月、南北分断から泥沼の戦争に追いやられていたベトナムではサイゴンが陥落し、ベトナム戦争は一応の終結を見せました。しかし、南ベトナム政府、軍関係者、資産家などを含め、新しい社会主義体制政府に反発していた人々は、新政府からの迫害を受ける恐れが極めて高く、多くの人々が国外に逃れました。そして、ベトナムからの難民、いわゆるボートピープルとして、当時の日本にも多くの人がやってきました。


 1975年5月、アメリカ籍の船に救助されたベトナム人が千葉港に初めて到着したのを皮切りに、1995年までに13,768人(出典:「インドシナ難民と我が国の対応」内閣官房インドシナ難民対策連絡調整会議事務局)の人々が日本に到着し、後に定住した人は、約11,000人にのぼると言われています。またその後の1979年5月、UNHCRとべトナム政府との間で取り決められた「合法出国に関する了解覚書(いわゆるODP)」に基づき、家族再会及び他の人道的ケースの場合にかぎり、ベトナムからの合法出国が認められ、今までに5,000人程のベトナム難民の家族が、日本に「呼び寄せ家族」としてやってきました。そして今月、日本にベトナム難民がやって来て、ちょうど30年になります。


 私たちカトリック難民移住移動者委員会では、教区で当時から支援を続けている方々や、ベトナム難民として来日した司祭から、彼らの生活や悩みについて、しばしば話を伺うことが出来ます。日本に定住して長いために、既に何の問題も無いと思われてしまいがちの彼らですが、現代の日本社会に於いても、他の来日外国人同様多くの苦難を抱え、また難民として来日したという特異性により、他の移住外国人にはみられない悩みを抱えています。ここで、「インドシナ難民が抱える特異な問題」を例としてあげてみます。


(1)

受け入れ当時、日本の難民条約への未加盟や、国内の難民に関する法律の整備不足により、多くのインドシナ難民は、現在の難民認定とは違い「難民に準ずる地位」として「定住資格」与えられました。これはあくまで「難民認定」を受けた地位とは違い、定住資格から永住資格に変更を希望する際にも、現在の難民認定者には認められている、「永住許可要件の一部緩和」すなわち、「『独立の生計を営むに足りる資産又は技能を有すること』を場合により免除する(出典:「難民認定手続案内」法務省入国管理局)」という権利が認められません。そのため難民認定を受けた難民よりも、永住資格取得に関しては不利な状況におかれています。また彼らから産まれた子どもたちは事実上無国籍状態を併発し、何らかの理由で海外に行く際、行き先国によっては入国許可がおりず、また国籍を要件とするあらゆるサービスなどから除外されることになります。


(2)

 インドシナ定住難民として生活していたものの刑法犯として逮捕され、1年を超える懲役もしくは禁錮に処された場合、刑期を真っ当に終えても、入国管理局の長期収容所に半永久的に収容されるという不条理が発生します。一般定住者は刑期満了後退去強制となりますが、彼らは事実上難民であるために、ベトナム本国に帰ることはできず、現在も収容されている人がいます。

 

 これらは、日本政府が「難民の受入れ」=「人の受入れ」であることを忘れていたために起きた悲劇であるとも言えます。特に2)の問題は深刻で、運良く仮放免を取得出来たとしても、定住ビザはすでになく、更に仮放免中に働くことは禁止されているため、彼らの生活は支援者の手に重たくのしかかっています。


また、上述のような法的な問題のみならず、日本語の習得、就職差別、精神の崩壊、家族離散、望郷のおもい。数え上げればきりがない程問題は多様です。しかし、それは現在においても、確実に日本で彼らが生活しているという証明でもあります。来日から30年、私たちも彼らと共に生きていることを、もう一度心に留めたいと思います。


--------------------------------------耳より関連書籍-------------------------------------

◎「涙の理由(わけ)〜救われた難民と船長の再会物語」2005年3月発行/横浜教区ファム・ディン・ソン神父、加藤隆子共著/定価1300円+税/問合せ先:女子パウロ会 TEL03-3479-3943


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